薬師山砲台:掩蔽部

Battery Yakushiyama : Shelters


↑ 南東側から見た掩蔽部前庭(2019年撮影)
 石積擁壁を観察すると、3連掩蔽部の中央区画上部に2つ、右端脚壁上部に1つ、碍子が確認される。また手前側の左右壁面には、計4箇所の金属製棒状部材の突出が見られる。
 続いてコンクリートアーチを支える脚壁に目を移すと、レンガの破損・崩落が進行している。アーチ同士の接続部には排水孔が存在し、ここから滴下する水が脚壁の亀裂へ浸透。冬季の凍結膨張圧によって継続的な構造破壊が引き起こされている。右端脚壁上部には明確な排水孔は確認されないものの、隙間から漏れ出た水が凍結し、同様に脚壁を損壊させているものと考えられる。

↑ 右端の脚壁が形を保っていた頃の様子(1993年頃撮影)

↑ 右端の脚壁の破損・崩落が進行中の様子(2006年撮影)

↑ 3連掩蔽部(2019年撮影)
 薬師山砲台に現存する3連掩蔽部のうち、右側の区画は他の2区画と明確に異なる構造を有している。その主な相違点は以下の2点である。
●相違点①(壁面と通気孔の構造):窓および出入口を備えたレンガ壁が、他2区画と比較して前方へ突出している。さらに、このレンガ壁の上部中央と下部両端に通気孔が配置されている。これに対し、他の2区画ではレンガ壁上部に通気孔が存在せず、下部の通気孔も前面レンガ壁ではなく、脚壁側に設けられている。
●相違点②(窓枠と蝶番の構造):窓部を観察すると、他の2区画には内外双方に蝶番の撤去痕が存在するのに対し、右側の区画には内側の撤去痕しか認められない。すなわち、内扉のみが設置されていたことを示している。この仕様差は外観における窓下部の形状の違いからも確認できる。
【史料による構造の裏付け】
 当時の軍事規格である「砲台建築仕法通則」第24条を参照すると、「弾薬庫」では、前面壁ではなく脚壁下部に通気孔を設けること、また、「掩蔽部」では、天井アーチに接する形で前面壁上部に通気孔を設けることが規定されている。さらに、同通則第26条には、掩蔽部と弾薬庫の窓構造は概ね共通するものの、「掩蔽部」においては外側の鉄張扉を省略することが規定されている。
 また、「函館港防御薬師山砲台(C点)ノ榴弾砲砲台位置変更ニ関スル建議書」記載の薬師山砲台設計要領においては、砲座後方に「弾薬補給庫2個」および「掩蔽部1個」を配置することが定められていた。
 これらの構造的特徴(通気孔位置、窓部の鉄張扉の有無)および史料記述の双方が一致することから、左側2区画が「弾薬庫(弾薬補給庫)」、右側1区画が「掩蔽部(兵員退避所・兵舎)」として築造されたことが裏付けられる。



↑ 通気孔・窓・扉の構造
 1894(明治27)年5月改正「砲台建築仕法通則」の附図より
 出典:陸軍築城部本部 編 『現代本邦築城史』 第一部 第二巻,1943.
    国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/11223507/1/227 ・ 245 ・ 247

↑↓ 3連掩蔽部のうち、右側の区画(「掩蔽部(兵舎)」)の内部

 レンガ壁上部と下部両端の通気孔の形状に注目し、他の2区画と比較してほしい。

↑ 3連掩蔽部のうち、左側と中央の区画(「弾薬庫」)の外観
 窓の外側にも蝶番の撤去痕が存在する。

↑↓ 3連掩蔽部のうち、中央の区画(「弾薬庫」)の内部

 前面壁上部に通気孔が設けられていない。

↑ 3連掩蔽部のうち、左側の区画(「弾薬庫」)の外観

↑↓ 3連掩蔽部のうち、左側の区画(「弾薬庫」)の内部

 1901(明治34)年12月時点における「函館要塞備付火砲弾薬員数表」によると、薬師山砲台への配当弾薬定数は、15cm臼砲4門用として榴弾800発および榴霰弾320発、保式機関砲3門用として実包24,000発であった。
 出典:「第7師団 函館要塞検閲報告の件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C03022890600

↑ 北西側から見た3連掩蔽部

↑ 3連掩蔽部から出入口へ向かう塁道

↑ 3連掩蔽部から砲座へ向かう塁道